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益城町と肥後のおきあげ「西国三十三所観世音霊験記」

熊本が誇る生人形師 松本喜三郎の「西国三十三所観世音霊験記」。浅草 奥山で大人気を博した等身大の生人形による、その世界観を肥後のおきあげ(押絵)で表現した、押絵師 深浦ハルの大作「西国三十三所観世音霊験記」(通称 観音絵馬)が、100年の時を経て甦りました。

 

大正2年に完成したその作品(68×98cm)33枚は、熊本から全国の寺院、学校、百貨店等で全国行脚、激動の時代を背景に数千万人の拝観を得ます。以来、幾度の風水害、戦災を逃れ、昭和28年には故郷・熊本の地に観音絵馬堂が建立され、収められました。

 

その後、代々守り継がれてきた観音絵馬も、経年変化による傷み等で消滅の危機に陥ります。所有者の高齢化も存続の有無に大きな足枷となりました。惜しまれつつも処分の方向に大きく傾いていた時、その受け入れに名乗りを挙げたのが熊本県の益城町でした。

 

調査を進めると深浦ハルと共に制作に加わった女性たちと、益城町が誇る四賢婦人​※との関係も明らかとなり、町は積極的にその修復・復元へと動き始めました。そして修復・復元をほぼ終え、納品を控えた平成28年4月、熊本大地震により被災。震度7の激しい揺れを2度記録し、最も甚大な被害を受けた益城町は、一瞬にして壊滅的状況へ。修復作業が行われていた文化財資料室も、倒壊こそは逃れましたがその建物内部の全ての棚は倒れ、多くの資料、書籍、埋蔵文化財が破壊、散乱。

その中に於いて観音絵馬 計33枚は、全てが奇跡的に無傷で救出されました。震災から翌月の5月、修復・復元を終えた観音絵馬は無事、益城町に納められました。

※四賢婦人 ・・ 近代日本における女子教育や婦人解放運動に尽力し、今日の男女共同参画社会の礎を築いた竹崎順子・徳富久子・横井つせ子・矢嶋楫子ら益城町出身の女性

 

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